生前優れた天台僧であった吹螺坊は志半ばにして海難に会い、命を散らした。
妖怪に生まれ変わって後は世を呪い、魔龍になる事を唯一の望みとして千年の時を過ごしてきたのである。
龍化に必要な邪気、邪念を吸収する為に、多くの人間を殺戮し、自らと魔海龍王への生贄とする…。
この行いからいつしか、彼は船を沈める邪悪な妖怪としてその存在を知られるようになっていた。
だが、そんな自身が気づかぬ程に―――――その心の奥底には、人として生きていた頃の未練が残っていたのだ。
この千年、魔龍に成る一念で妖(あやかし)の生を生きた。それを否定してまでも…彼は天台座主になりたかった。
大妖怪としての誇りを捨てて、かつて呪った人の世の、その権力を願ったのだ。
くだらぬ人間ごときと嘲笑った以前の吹螺坊の面影もなく、彼はひたすらに媚びた。へつらった。
人の頂に立つ者達…大物政治家や大企業の重役、宗教団体の権威、警察幹部…。彼らのご機嫌伺いに徹し、
取り入る事に余念が無かった。妖怪や下級神などの人外や、その血を引く娘たちを集めてきて彼らに献上する、
女衒めいたものを考案したのも吹螺坊である。彼女達は多くが人を超えた美しさを持ち、また生命力が高いゆえ
サディズムのはけ口として痛めつけても早々死ぬ事は無い。人ではないから、良心の呵責も少なくて住む。
零落したとは言え、誇り高き女神の末裔である娘を犬のように凌辱した経済団体会長は、感動に身を打ち震わせた。
世の快楽を味わい尽くし、それに飽いた権力者達にとっても、この催しは獣欲をそそらせるものであった。
だが吹螺坊は知ってしまった。いや、薄々知ってはいたけれどあえて目を背けていたのかもしれない。
夢に縋っていたのかもしれない。彼らが妖怪などに人間社会の地位や栄誉を、与えるつもりが無い事を。
 『 漁火会(いさりびかい) 』 ―――――表向きは上流社会の名士が集い、高級珍魚を料理して食べあう会員制の秘密クラブ。
しかし実体は吹螺坊が創設した、人でない娘達を嬲り者にして愉しむ外道の宴。食われる魚とは哀れなその女達の事である。
この宴を取り仕切っていた配下の魚人が、メンバー達の嘲り笑う会話を耳にしていた。
よく聞け下衆な妖怪め。人は万物の霊長だ。この世の支配者だ。お前らを畏れ崇めていた頃とはもう違う。
このクラブとて妖怪の中じゃ結構な大物がな、俺達にへいこら頭を下げて、ご機嫌取りにお前らを差し出したのよ。
目先の地位に釣られてなあ。だが、そんな約束誰が守るものか。お前らは永遠に玩具だ。
神? 精霊? 妖怪?そんなカビの生えたもの、いくらでも俺達が辱めてやる。汚してやる。解ってるか、おい。
…サディズム行為の最中の、たんなる言葉責めとも取れるだろう。しかし、内容は真に迫るものがあった。
ああ、やはり。やはりそうか。まあそうであろうとは思っていた。
千年生きたわしが、初な生娘のように甘い言葉に騙されたのは、騙されたかったからよ。
誇りを捨ててまで、泡沫の夢に身を任せていたかったからよ。だがこれでもう踏ん切りがついた。
己の中に燻っていた、人の名残も燃え尽きた。もはや何の迷いも無し、魔龍となって焦土を広げ、魔海へと還ろうぞ。
さらば、さらば円載。かつての自分よ。燃え盛る街を手向けとして、汝が供養としてくれよう。
魔龍化に必要な生贄はもうあと僅か。やがて始まるという聖板戦争の舞台にて、殺戮の後にその望みは叶うだろう。
しかし大妖怪である自分でも、一人ではこれを阻もうとするだろう理外監査室の精鋭相手は心もとない。
望みを叶える前に、彼らの邪魔が入る恐れがある。…仲間が、必要だ。
実は彼の同僚に、もう二人―――――人の姿を与えられて警察の職務に就いている妖怪がいた。
いずれもかつて肩を並べて共に悪事を働いた、大妖怪である。
片や妖怪 『 石投娘 』 の蘭麝(らんじゃ)。強者を屠り、その子種を得る事を悦びとする戦闘狂。
吹螺坊と同所に封じられていたが、同様の理由で封を解かれ、強力な理外犯罪者との戦いを愉しむ為に、
あえて人の傘下に下った女妖である。
片や妖怪 『 化け狸 』 の九猛(きゅうもう)。元キリシタンで西洋魔道を修めた、妖怪の中でも変り種。
江戸時代にキリシタンの大乱を引き起こしたかどで退治され、以後は人として生きる罰を与えられたという。
現在、吹螺坊の妖力を制限している封印術式や呪印は彼にとっては大したものではなく、いつでも解除ができるようなもの。
早々に残る二人に施された封印を解き、三妖仙としてまた余人の心胆を寒からしめたい。
しかし蘭麝も九猛もすっかり人としての暮らしが板についてしまい、中々それを捨てる素振りを見せなかった。
九猛に至っては、吹螺坊と蘭麝がかつての妖怪仲間であるとまったく気づかぬ有様…。
痺れを切らした吹螺坊は一計を案じる。
…実はやはり同僚の中に、紛れもなく人間でありながら吹螺坊の隠れた行いに加担する者がいた。
丹羽兼(にわ かねる)である。
彼はその旺盛なサディズムを発散する為に警察官になったという男であり、
これまでにも犯罪者に対して過度の暴力を振ってきた。
特に、現行法の適用外である一部の理外犯罪者達には容赦なく、激しい拷問などを加えてきたのである。
これまでそうした事実を立場を利用し、巧みに隠蔽してきた為に問題にはならなかった。
だが吹螺坊はこの行為を突き止め、公にされたくないのならば自分に協力するようにと脅迫する。
…ある警察幹部と吹螺坊、そして丹羽他数名の警察官が結託し、古読刑務所に理外犯罪者として収監されたはずの女性
―――――その多くがただ混血である、人外である、というだけで投獄された無実の者達…を密かに連れ出し、
 『 漁火会 』 のメンバーに提供する事を続けていたのである。丹羽自身も自らの嗜好を満たす為、会員の一人となっていた。
このような経緯があったのだが、漁火会会員に裏切られた事を知った吹螺坊は、彼らを用済みと判断。
友人である妖怪・九猛を炊きつけるのに一役買ってもらう事に決める。
かつて悪の妖怪と恐れられた九猛だが、実際は情に厚く、弱者を虐げる権力者を許せぬ性分であるのを吹螺坊は知っていた。
まず九猛に丹羽の隠れた悪事を告げ(無論、自分が関わっている事は伏せて)、
彼が密かに出入りしているという 『 漁火会 』 の場所を伝える。謀った通り凄惨な現場に踏み込み、これを目撃した九猛は激怒した。
…吹螺坊としては、ここで人の醜さを見て失望した九猛が、警察を…いや人間を辞めるよう仕向けるつもりであった。
しかし事態は予想を超え、九猛は場にいた丹羽を含む会員達を皆殺しにしてしまうのだった。
こうなれば…と更に後に引けなくなるよう、彼が殺人犯である事を警察幹部に報告。
九猛こと森は、直ちに理外犯罪者として制圧対象となる。
追い込まれ、自首して罪を償おうと考えていた九猛の眼前に、吹螺坊と蘭麝が姿を現す。
蘭麝の方を炊きつけるのは思いのほか簡単だった。聖板戦争に強力な退魔師達が参戦している事を告げ、
人のままの姿では彼らと存分に戦えないと説得。これに異を唱える事無く、蘭麝は妖怪へ戻る決意をした。
二人は呆然と街の裏路地を彷徨う九猛を見つけると、その眼前で妖怪の姿を現す。
もはや我らは人間社会と決別し、再び妖としての生を生きるべし。刑務所に収監された同胞を救出し、
襲い来るかつての同僚―――――理外監査室応用警邏隊を滅ぼす。退魔師たちも同じくだ。
いにしえのように、人が我々を恐れていた時代を再来させるのだ…この聖板戦争を第一歩として!
…それでもまだ迷いを見せる九猛に、吹螺坊は外法力による暗示をかける。いかな伝説の化け狸と言えど、
心揺らぐ今ならば術がかけられる。果たして、九猛は術中に落ち、再び人に仇成す妖怪となるのである。
もちろん、吹螺坊の言は口から出まかせ。刑務所襲撃・囚人解放の混乱に紛れて古読住民を虐殺し、
生じた負の邪気を浴びて魔龍となるのが目的。これを阻止せんとする理外監査室を、蘭麝と九猛に迎撃させる計画である。
【円載について】
円載(生年不詳~877)は平安初期の天台宗の僧。
密教の教典を得、その教義を天台宗に取り込むべく、最澄の指示で唐に派遣された留学生の一人。
留学中もっとも優秀で、唐の高官等の知遇も得て密教を深く学んでいたが、
845年に皇帝・武宗による、会昌の廃仏という悪名高い仏教撲滅運動に巻き込まれる。
これは仏寺4600カ所の破壊と、僧尼の還俗2万人を勅令によって行ったもので、
日本の明治期の廃仏毀釈運動などより遙かにすさまじい物だったようだ。
この際に一時還俗したことで、天台宗の同輩後輩である円珍や円仁(慈覚大師)等からは「裏切り者」扱いされている。
廃仏毀釈の騒動が落ち着いた後で僧に復帰し、高岳親王が唐に来たときには当時の皇帝に拝謁する機会を設けるなど奔走している。
円珍円仁はあまり評価していないが、入唐後20年を過ぎ密教の知識もそれなりのレベルにあったと思われる。
後に、それまでに集めた教典や仏具を持って日本に帰ろうとするが、不運にも嵐に巻き込まれて難破して溺死する。
誰より努力した。しかし報われなかった。その志は生臭い魚腹に葬られ、波飛沫の一抹と消えた。
【裏話】
吹螺坊こと円載は、現代に蘇って後に初めてパソコンを弄り、インターネットで自分の名前を検索。
ところがウィキペディアにはライバルの円珍が語るまま、自分に破戒僧のレッテルが貼られていた。
おまけに円珍のほうが文量が多かった。後世にこのように汚名を残していたとは…。円載の怒りは止まらない。
実はもうちょっと評価されてたら、人間としてそこそこ真面目に警察官やるのもいいかも…と思ってたらしい。
結局、警察官ルート・坊主ルートは潰れ、ドラゴン化ルートを選びました。