父と娘の物語

                        

※注・ちょっぴり性的な描写があります。

―――――いつの頃からだろう。その少年には、人には見えぬ鳥かごが見えていた。
空を覆う、大きな大きな、鳥かご。ここはその、内側なのだ。

息苦しくて、仕方がなかった。どうして誰も鳥かごに気づかないのか。それとも見ない振りをしているのだろうか。
ぼくたちはみんな、囚われた小鳥だ。でもぼくは違う。いつかきっと、あの向こうの空へ羽ばたいて見せる。

「…でも鳥かごがね、ある日見えなくなったんだよ。そこから出る事をずっと夢見ていたのに。
 そんなものは最初から無かったのか? いやいや、今もあるはずさ。見えなくなったのは、私の目が曇ったからだ。
   曇りを拭わなければならない。あの日の瞳を取り戻すにはね。」

…いいえ、お父様。あなたはもう鳥かごをお出になられたのよ。それを認めたくないだけ。
鳥かごが無ければ束縛もない。束縛が無ければ、それを破った自由も感じられない。
あなたが欲しいのは自由ではなく、鳥かごのほう。自由という呪いに縛られた、哀れな虜囚。
だから永遠に安らぐ事などありはしない。満ち足りる事など、ありはしない。
足る事を知らずどこまでも走り続け…そうしてあなたは死んだ。何もかもを置き去りにして。

「この赤い瞳をごらん、エイダ。美しいだろう。『彼ら』は皆、このような美しく輝く瞳を持っている。
 禍々しき人の宿業から解き放たれた、その心を映しているからね。
 この瞳を清き血で磨き続ければ、もう一度鳥かごを見る事ができるはず。
 そしていつの日か二人でそれを壊し、青空へ翔けてゆこう。」

…嘘ばっかり。あなたの目には、青空なんて映っていないわ。覗き見えるのは、どこまでも続く黄昏の紅い空。
そこを舞う翼は、醜い蝙蝠の翅。

妖しく光る瞳には淫蕩な笑みがこぼれて、とても娘に向ける眼差しには見えない。
血なまぐさい吐息は、乙女を凌辱する獣のそれだ。
父の、いや父の姿をした何かの瞳が持つ魔性の魅力は、実の娘である彼女の精神すら深く揺さぶった。
気を許せば、何もかもを差し出してしまいたくなる。

『メドラはね…あなたの従姉妹ではないの。腹違いの姉なのよ。あの子はあなたの父親と、オーガスタ伯母様の…。』
やめて、聞きたくない。それは心無い世間の噂。真実じゃない。真実のはずが―――。
耳にこだまする母の言葉。近親、同性との道ならぬ不義の関係。自分はケダモノの娘なのだろうか?
あの日に受けたショックが蘇る。そういえば、あの時からだっけ。賭け事をするようになったのは。

父に復讐するのではなかったのか。父を許さぬのではなかったのか。
どんな形でもいい。自分を孤独にした彼の自由を貶め、この胸の強き想いを伝えるのではなかったのか。
そんな決意も、今は風前にか細く揺らめく…蝋燭の灯だった。

意識が混濁し始める。身体が痺れ、思うように動かない。頬を撫でさする指先が、顎から首へ、肩へと降りてゆき…。
ドレスの紐をスルリと解くと、襟をゆっくりと左右に開いてゆく。
駄目、いけない。このままでは。微かに残る理性が、虚しく警鐘を鳴らす。
ああそれともケダモノの子らしく、ここですべてを捨てて受け入れようか。それもいいかもしれない。
それはきっと、とても気持ちの良い事だろうから。そうなのでしょう?
生じた心の緩みに追い討ちをかけるように、勢いよく開かれた胸元が、続いて白い肩が露わになる。
そのまま両腕を戒めるように服を脱がされ、上半身の上半分が晒された。
艶かな素肌が部屋の灯りを浴びて、淡く美しく輝いた。
…私を娘として必要としてくれないのなら、こんな形でも。
そしてゆっくりと、エイダは目を閉じる。

―――でも。

何度も夢に見て飛び起きた、去ってゆく父の背中。そんな夜を一体、幾つ越えてきただろう。
時を越えた奇跡によって、今こうして再び父と出会う事ができたのに。本当にこれで、いいの?

慟哭が、胸を突いた。いつまでも明けぬ宵闇に暁を求めて、彼女の中の狼が狂おしく吠え猛る。
この思いを、何者にも汚させてなるものか。例えその者が父自身でも、そして自分自身でも―――。
体が動く。人の歴史を背負った英霊としての誇りが蘇る。
我が身を惑わす邪悪な魔力が、潮を引くように消えてゆくのを感じる。
魔よ、獣よ、去れ。エイダは、決然として目の前の男を突き飛ばそうと、腕に力を籠めた…!

「娘よ。」

―――――――――何を。

「我が娘よ。愛している。」

―――――――――何を、今更。

「父と歩もう。新たな生を。」

囁かれた言葉に、突き出した腕が止まる。こみ上げるもので視界が歪んだ。
自らを抱きしめる冷たい身体に感じた温もりは、幻だったのだろうか。
首筋に突き立てられた牙が、彼女の魂をゆっくりと貪ってゆく。
エイダ=ラブレスはただ、うわ言のようにお父さん…とだけ呟くと、闇の底へとどこまでも堕ちていった。

父よ。誰よりも自由を求め続け、同じだけ束縛を求めた続けた父よ。
無為なるその旅路も、ここで終わりです。

―――――――――私が、あなたの鳥かごになりましょう。

 

 

【余談】
どうも国巣です。駄文を読んでいただいた方、大変お見苦しいものをお目にかけまして申し訳ございません。
エイダの父、自由詩人バイロンとは、いかなる人物なのか。不勉強ゆえに深くは伺い知れぬところ。
しかし聖板での設定では、このようになっております。

彼は人一倍繊細で豊かな感性を持つがゆえ、普通なら誰も気に留めぬ様な閉塞感、圧迫感、不自由さといったものを感じ、
常日頃ストレスに晒され続けていました。このストレスを一時忘れる事ができるのは、解放のカタルシス。
なんらかの日常的な束縛、戒めを打ち破る事で、彼は自由の喜びを味わい、束の間の安らぎを得るのです。
彼の放蕩人生、破天荒人生の八割がこうした理由から来るものです。

…しかしその解放感も一時の事。そもそも彼が感じているストレスの根源とは、人として生まれた逃れえぬサガやら、運命のくびきやらいう、もっと大きなもの。 殆どがどうしようもないものです。しょせん彼の行動で得られる小さなカタルシスなど、わずかな無聊に過ぎません。
それが解っているからこそ彼のストレスは更に増し続け、より大きなカタルシスで発散しようと、際限なくでかい壁を求めてブチ当たり続けるのです。
完全な自由中毒の悪循環。
結局、彼は人間の生からの解放すら願って死徒化。果ては当時のヨーロッパ最大の脅威、オスマントルコにケンカを挑みあえなく散りました。
…この世界はどうやら、彼にとって狭過ぎたようです。娘がかわいそすぎるよぉ!!

「コンニチハ、ワタシ、エイダロボ、デス!!」(←鳥かご)